成功するカウンセラーなら習得している本物の共感力とは?

まず初めに、残念ながら傾聴でいう「共感」を、
日本語の漢字の意味から理解するのは困難です。

傾聴における共感は、しばしば「相手と同じ気持ちになること」と解釈されています。

そう書いてある教科書もあります。

「同じ気持ちになる」これは、共感ともいえそうですし、
似た言葉にある「同感(同調)」ともいえます。

ある日本語の辞書で両者を調べてみると、こんな風に出てきました。

・同感⇒共感すること
・共感⇒同感すること

日本語で同じ意味なので、共感を
「同じ気持ちになること」と解釈しても間違いではなさそうです。

ところが、日本でいう傾聴の共感を英語の原文でみると、同感と同じ意味にはなりません。

ロジャーズが書いた著書の中で「共感」は、empathic understandingと記されています。

直訳すると、「感情移入的に理解する」という、なんとも日本語では意味不明な訳です。

実際、「感情移入的に理解する」と直訳されている本もあります。

でも、英語で「同感」を表現するなら、それは「賛成」と同じ意味なので
agreeが近いのではないでしょうか。

日本語では同じ意味だけれど、英語では全く別の意味。

これが、傾聴の共感について誤解が生まれている大きな要因のひとつだと考えています。

そして、ロジャーズがいいたかったのはあくまで「empathic understanding」
であることはいうまでもありません。

漢字というのは文字の形に意味を込められるという点で、意味ではローマ字と違って便利なものです。

でも、逆に文字の形から想像してしまうがゆえに、
翻訳されたものは誤解をされやすいという欠点もあるのです。

そもそも、empathic understandingという言葉自体、今まで定義されていなかった現象を
学問的に説明するために使われた言葉です。

なかった言葉をさらに翻訳するということで、伝言ゲームのように
混乱してしまうのは致し方ありません。

「感情移入的に理解する」ではわかりにくいだろうということで、
日本人の誰かが「共感」という言葉を当てはめたのでしょう。

共感とは客観性

受容、共感、一致という3条件は、1957年のロジャーズが発表した
「パーソナリティ変化の必要十分条件」に記された
6条件からの抜粋であることは有名な話です。

でも、それよりずっと前の1939年、ロジャーズの処女作、
ロチェスターの児童相談所時代に書かれた「問題児の治療」の中に、
すでに、3条件の原型となる考えは4つの条件として示されていました。

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そして、ここから先が共感=同感(同調)と思い込んでいる人には衝撃的なのですが、
共感に該当する部分について、何と書かれていたかというと、
共感の部分は「客観性」と書かれています。

数年前、この事実を知ったとき、私は思わずその的確さに唸りました。

なぜなら、まだまだ若輩者ではありますが、私自身の中で共感とはまさに、
相手の感情と自分の感情をしっかり分けて、相手に巻き込まれることなく、
でも、温かく本気出来ることだったからです。

共感についてのとらえ方は、その後のロジャーズの著書を見ても、
大きくは変化していません。

変化があるとすれば、当初ロジャーズは共感については
共感の「状態」があることがカウンセリングの成果に影響を与えるとしていたと思います。

その後、共同研究者だったフォーカシングで有名なジェンドリンが提唱した
体験過程という考えに影響をうけたのか、共感は状態ではなく「プロセス」で
あると修正したように思います。

でも、共感そのものへのとらえ方は大きな変更はいまのところ確認できていません。

心あたたかく他人ごととして聴く

傾聴を深めたい人は、共感=客観性であることをしっかり自分の中に落とし込むことで、
本当にいい聴き上手になるでしょう。

ところが、客観性という表現に反発する人も出てきます。

「客観的だと冷たいのでは!?」

と。

そこがまさに誤解ですね。

でも事実、傾聴を学んだ人からは、こんな話も耳にします。
・「あなたそう思うんですね!」と冷たく言われた
・「あ・な・た・は、そう思うんですね!」と、客観的な態度をとられて傷ついた

そういう人がいるのも事実なので、その言い分は十分理解できます。

では、本当の共感とは何でしょうか?

13年私なりに研究してきた結果(まだ研究中ですが)、
この言葉が最も適切だと思っています。

傾聴で言わんとする、共感とは
「心温かい本気の他人ごと」
です。

客観的=冷たいという準拠枠(フィルター)にとらわれている人には、
この言葉はされに混乱をもたらすでしょう。

人生の中で客観的=冷たいという体験しかしたことがない人にとっては仕方がないことです。

だからこそ、本物の傾聴を学ぶ中で「心温かい本気の他人ごと」を学ぶ意味があります。

いま自分が持っている固定概念の中だけの学習でも、
誰でも枠いっぱいのところまでは成長することができます。

でも、それだけでは枠を超えて成長することはできません。

自分が成長するために、いま信じていることをいったん疑って
再評価してみるというのはいいことです。

まとめ

私も長年共感が何かわからず、ふに落ちず、
表面的にわかったふりをして生きてきた中の一人です。

でも、共感が大事だと思うならロジャーズの言わんとする共感
・・・ではなくempathic understandingは何を言わんとしているのか?

誰かからの受け売りではなく、せめてロジャーズが書いた英文の日本語訳まででもいいから、
自分の目で確かめてみると、共感が客観性という理由が少し見えてくるのではないでしょうか。
(人は自分に都合よく本を読むので、分からないかもしれませんがチャレンジしている価値はあります)

「心温かい本気の他人ごと」で聴けるようになると、聴くことはガマンの練習ではなくて、
聴く人自信を楽に幸せにしてくれる行為だということが身にしみてわかってきます。

その感覚が嬉しいからこそ私自身13年もの間、
練習は大変でも傾聴を続けて来られたのだと思います。

もし傾聴が自分の我を押さえる修行だとしたら、とっくの昔にやめてしたに違いありません。

傾聴は修行ではなく、聴いてらもう人と同時に、聴く側の人をも幸せにしてくれることなのです。

もし共感の定義があいまいだったり、共感を示そうとすると苦しさを感じるという人は、
一度共感の定義を「心温かく本気の他人ごと」としてみるといいかもしれません。

最初は訳が分からなくても、そう思って進めていくうちに、
私と同じ幸せを感じられることを願っています。

傾聴は、我慢や苦しいことではなく、
聴く人自身の願いを叶えて幸せになるための一つの方法でしかありません。

これからも日本中に、聴く人が笑顔になり、
その笑顔が周りの大切な人たちに伝播して、それが未来永劫続き、
100年後の子供たちの笑顔につながっていくことを願っています。

「心あたたかい本気の他人ごと」

よかったやってみてください。

関連情報:聴く人が楽に聴ける方法を深く学びたい方のための「傾聴の学校」 ※傾聴の資格取得可能

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